悪戯


 

 
『悪戯』
 
 黒いフェルトで出来たとんがり帽子に、同じ色のサテンのマント。白いブラウスに、オレンジ色のカボチャパンツ。魔法書を模した小振りの本は、ぼくが手作りしたカバーを絵本に掛けたものだ。ソックスの色を白か黒かで迷って結局黒にしたのは、ブラウスを際立たせる為とパンツのオレンジと続けばハロウィンカラーになるから。仕上げに、護符に見えそうなネックレスをぼくの手持ちのアクセサリから選んで首に掛けてやれば、可愛い魔法使いの出来上がり。
「プウ?」
 いつもと違う着替えに不可思議そうにしていたフィガロを、姿見の前へ立たせてやる。ファンタジー映画に出てくるような、子供の魔法使いをイメージした仮装は、おおむね成功。背中にひらひらとなびくマントが気になるのか、鏡の前でフィガロはくるくると回り始めた。自分の尻尾を追いかける子犬の様で愛らしい。
「さて、ママも着替えてこようかな」
 悪戯をしないよう声を掛けて、クローゼットへ向かう。
 
 自分のために用意した仮装グッズは、安手のアクセサリショップで見つけたネコミミの付いたカチューシャだけ。ぼくはフィガロの付き添い、あくまでオマケなのだから、後は手持ちの服の組み合わせでそれらしく見えればかまわない。
 まずはフィガロと同じ白いシャツを着る。襟のしっかりした、装飾のないもの。パンツは、ネコミミに合わせて黒のベルベット。ショートパンツなので、脚が寒々しく見えないように黒のネットタイツを履く。靴は、ポイントで赤のブーティー。今日は沢山歩くだろうから、ヒールはいつもより少し太めのものを選んだ。仕上げに、首元に猫の首輪代わりの蝶ネクタイ。色は、ブーティーと同じ赤にした。
猫なんだから鈴でも付けようかとも思ったけれど、ちゃりちゃりうるさそうなのでやめておく。
 
「うん、OK」
 クローゼットの鏡の前で、さっきのフィガロのようにくるりと回ってチェックしてみる。
「悪くない」
 小さな魔法使いの眷属の、白黒猫の出来上がり。これなら、フィガロと並んでも遜色ないはずだ。後で、近所のひとにでも写真を撮ってもらって、バンコランにも見せよう。
 
「フィガロー」
 居間に戻ると、フィガロはマントを追いかけるのに飽いたのか、ソファーに掛けてテレビを眺めていた。画面の中には、顔の付いた機関車。珍しいことに、同年代の子供にも人気のアニメーションを見ているのだ。それも、やけに真剣に。
 ぼくの声に顔を上げたフィガロに、
「ママも着替えてきたよ。何でしょう?」
と問うてみると、利発な子はすぐさま、
「ニャーニャ!!」
と答えた。よくできましたと、マシュマロのように柔らかな頬へキスをした途端、玄関の呼び鈴が鳴る。
「プ?」
「誰だろう?イワンかな?」
近所に住む、ハリボーグミの大好きなドイツ人少年を思い出す。
イギリスで過ごす最初のハロウィンだというので、一ヶ月前から仮装の計画を練っていた。まだ学校が終わる時間ではないけれど、あの意気込みようなら何らかの策を講じて早引けしてきても不思議じゃない。
「どなた?」
『トリック・オア・トリート!』
 スピーカーごしに聞こえてきたのは、ドイツ語なまりのハスキーな英語ではなく、聞き慣れたマリネラの子供の声。イワンはきっと、マリネラなんて国があることも知らないだろうなと思いながらぼくは、ハロウィンのお菓子の入ったカボチャのバケツにハリボーグミを戻した。
 
 さすがに、例えそれがパタリロでもハロウィンに訪れた子供を無視することは出来ないのでドアを開けてやると、いつも通り芥子色の軍服姿のパタリロが立っていた。
「なあんだ」
「なんだとはなんだ、イボイノヒヒ」
「マライヒだよ。折角のハロウィンだよ?お得意の仮装はどうしたのさ」
「ぼくが上手いのは仮装じゃない。変装だ」
 似たようなものじゃないかとぼくが呆れると、失礼な奴だとパタリロは憤慨して見せた。でも誰が見たって、あれは変装じゃなく仮装だと思う。例外的に上手くいっていた、あのマークという少年によく似た姿を除いては。そうだ、マーク。彼は今頃どんなハロウィンを過ごしているんだろう。おじいさんの所へ行くと言っていた。笑顔でいれば良いけれど。
「そんなことより、ほれ」
 ふと物思いに沈んだぼくの目の前に、タラコのようにふくふくとした指が差し出される。
「なにさ」
「トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」
 真面目な顔で言うので、可笑しくなる。
「そんなこと言ったって、君は年柄年中悪戯ばかりしてるじゃないか」
「悪戯なんてしていないぞ。ぼくは、いつだって世のため人のためお金のためにだな」
「はいはい。君はそのつもりでも、君がしでかす事は大抵ぼくらにとっては酷い悪戯なんだよ」
 またもやパタリロは失礼なと怒りかけたけれど、どうやら訪ねてきた本来の目的を思い出したらしい。
「まあいい、それなら、お菓子をくれたらお前の言う悪戯を3つ減らそう」
どうだ名案だろうと得意げに言うので、3つの悪戯がゼロになるなら話に乗っても良いけれど、100も200もあるものが3つばかり減るだけじゃなあと返したところで、待ちくたびれたのだろうフィガロが玄関に顔を出したので、とりあえずパタリロを家へ入れてやることにした。
 
 小さな魔法使いに変身したフィガロと、ネコミミカチューシャを乗っけたぼくを改めて眺めて、パタリロは、
「なんだお前ら、その格好は」
と不思議そうに言った。
「何だって、ハロウィンの仮装だよ。君こそ仮装もしないで何がトリック・オア・トリートさ」
 もしや、マリネラにはハロウィンの習慣はないのだろうか。けれどもパタリロは決まり文句を言ったのだし、風習そのものは知っているのだろう。これ以上仮装についての言及をしたものかどうか悩んでいると、フィガロがジャック・オ・ランタン型のバケツを持ってきた。
「マーマ、プウ!プウ!」
 着替えも済んで用意が出来たのだから、早く外へ出ようと言っているのだ。いつもと違う格好をして、方々にお菓子をねだって回る。他愛のない行事だけれど、子供はハロウィンが大好きだ。
「そうだね、でもちょっと待ってよフィガロ」
「プ?」
「なんだ、出掛けるところだったのか」
 不思議と、ぼく以上にフィガロの言いたいことを理解するパタリロが、意外そうにフィガロに言う。
「だから、ハロウィンなんだよ。君がここへやってきたみたいに、この子も近所を回るのさ。このバケツを持って、『トリック・オア・トリート』って」
「お前でもそんなことをするのか」
「プウ?」
「するに決まってるじゃないか、小さい子供なんだから」
「てっきりイベント好きの母親に振り回されているだけだと思っていた」
「なにそれ」
「プウ!ププウ!!」
 何だか、ぼくが蚊帳の外で、フィガロとパタリロが会話をしているような雰囲気になってきた。この二人は、妙に分かり合えている様に見える所がある。子供同士だからだろうか。方や天使で、方や悪魔だけれど。そして、この奇妙な子供は、ハロウィンを知ってはいても、実際に体感したことはないらしい。
「あ、そうだ」
 二人に少し待っている様言い置いて、子供部屋へ向かう。
ハロウィンだし、訪ねてきた子供に渡すお菓子はラッピング済みで用意してあるけれど、あのパタリロのことだ。一つの包みで満足する訳がない。もっと寄越せもっと寄越せと言って、終いにはみんな持って行ってしまうだろう。ハロウィンのお菓子をけちけちするつもりはないけれど、さすがにそれは困る。フィガロと近所を回り終える頃には、学校や幼稚園に通っている子供たちが訪ねてくるはずだ。クッキーを焼き直して包んだり、お菓子を買いに行っている時間はない。それに、奇妙でも子供は子供だ。パタリロだって、子供らしい方法でお菓子を集めればいい。
 フィガロのおもちゃ箱から目当てのものを引っ張り出して居間へ戻ると、今度は二人して機関車アニメを真剣な顔で見ている。全く、今日はどうしたというのだろう。
「おまたせ、フィガロ」
「プ」
 画面から目をそらさず寄越された返事。アニメはもうエンディングだ。数分もしないうちに終わるだろう。こういう時のフィガロは、思索にふけるバンコランと同じで何を言っても無駄なので、玄関に飾ってあるもう一つのカボチャバケツを取ってくることにする。中に入れてあった、子供たちに配る用のお菓子は別の籠へ。さっき取り出したハリボーグミは、イワンのために用意したややグロテスクな目玉の形なので、他の子に渡してしまわないよう一番後ろへ隠しておく。
 居間へ戻ると、今度はテレビは消えていてフィガロがなにやら懸命にパタリロに力説している。パタリロも珍しいことに真面目な顔をして熱心に聞いている。本当に、この二人は何なのだろう。
「そんなにアニメが面白かったの?」
「・・・まあな」
と、パタリロは気のない返事を寄越す。
「それより、何をばたばたやってるんだ」
「あ、そうだ。はい、これ」
 フィガロの部屋から持ってきた、オモチャの王冠をパタリロの頭に乗せる。ついでに、ウレタンで出来た剣もベルトに挟んでやれば、王様の仮装をした子供の出来上がりだ。普段とさほど代わり映えしないけれど、近所の人はパタリロの普段の姿なんて知りはしない。立派な仮装に見えるだろう。
「何だこれは」
「何だって、ハロウィンの仮装だよ。はい、これも持って」
「プウ!」
「そう、フィガロとお揃い」
 パタリロに持たせたジャック・オ・ランタンのバケツと、一回り小さい自分のバケツを見比べて、フィガロは嬉しそうに笑いパタリロの手を引いて玄関へ駆けだした。
「おい、これはどういうことだ。ぼくはお菓子を寄越せと言ったんだぞ」
「ハロウィンだもの。お菓子が欲しけりゃ仮装をしなくちゃ。フィガロと一緒に近所を回って、さっきみたいに言ってごらんよ。『トリック・オア・トリート』ってさ」
 二人の後ろからついて行きながらそう答えると、フィガロは嬉しそうにうんうん頷き、パタリロはフィガロに引きずられつつ胡乱な顔でぼくを見上げた。
「折角こんな日に来たんだ、イギリスのハロウィンを堪能しなよ」
 フィガロは近所のアイドルだから、一緒に回ればそのバケツ一杯にお菓子が集まるよ、と付け加えてやるとようやく乗り気になったのか、パタリロはフィガロと並んで歩き始めた。
 
 近所をあちらこちら、マリネラ大使館やなじみのケーキショップや花屋、ドラッグストアまで回って、最後に階下のオッペンハイム夫妻の家を後にした頃には、もう四時前だった。
「フィガロ、早く戻らなきゃ、お兄ちゃんお姉ちゃんが訪ねてくるよ」
 公園や広場でフィガロを見かける度に相手を買って出てくれる、幼稚園や小学校に通う子供たち。いつもお世話になっているお礼にクッキーを焼いておくから、仮装して訪ねておいでと約束をしてあった。彼らにとって、ハロウィンはもう子供っぽい遊びなのかも知れないけれど、フィガロのハロウィンを出来る限り楽しく賑やかなものにしてあげたかった。大きくなっても、覚えていられるぐらいきらきらしたものに。
「パタリロ、お疲れ様。バケツ一杯になっただろう?」
 相変わらずフィガロに手を取られて歩くパタリロの手には、お菓子があふれんばかりのバケツ。外国から遊びに来ている遠縁の子供だと紹介すると、イギリスのハロウィンを是非楽しんで行きなさいと、あちらこちらで他の子の二倍三倍のお菓子を差し出された。自国の行事を楽しんで欲しいという皆の思いを汲んだのか、単に儲けものだと思ったのか知らないが、パタリロは終始大人しく愛想良く、フィガロと一緒に決まり文句を言ってはお菓子を受け取っていた。
 
「ただいまー」
 ドアに異変がないかを確認して、鍵を開ける。もしやと期待してしまったけれど、さすがにバンコランはまだ戻っていなかった。
「はい、これはぼくから」
 居間に戻った二人のバケツに、一つずつクッキーの包みを入れてやる。
「プウ!」
「一度に食べちゃダメだよ。毎日少しずつ。お腹を壊すからね」
「プ」
 神妙な顔で頷いて、仮装のまま貰ったお菓子をカボチャバケツから出して一つずつ確認しだしたフィガロの横で、パタリロはオモチャの王冠を脱いだ。
「本物より軽くて楽だっただろ?」
「アホか。こんなオモチャを国宝と比べるな」
「本物被って偉ぶってたって、お菓子はもらえないよ?」
 王冠と一緒にウレタンの剣も受け取りながら軽口を返す。パタリロの下げていたバケツには、フィガロの倍以上もありそうなお菓子があふれんばかりだ。
「お菓子、何か袋に入れようか?それともそのバケツのまま持って帰る?」
「折角の申し出だ。両方貰おう」
 いつもながらのがめつさについ苦笑してしまうけれど、今日を過ぎればこのバケツに用はない。紙袋ならたくさんあるし、とバケツごと入る大きな袋を探して入れてやった。
「じゃあ、帰るとするか」
 てっきり夕飯までたかられると思っていたので驚いていると、
「マリネラでもハロウィンをするんだ」
と言い置いてパタリロは玄関へ向かった。何の用意もしていない所へいきなり『トリック・オア・トリート』といわれたって、タマネギも国民も困るんじゃないだろうか。
「それに、君は国王なんだし、マリネラではお菓子をあげる側なんじゃない?」
「何を言う。ぼくはまだ10歳だぞ」
「こういう時だけ子供ぶって」
 さっきは散々子供らしくハロウィンを楽しんでみろと仕向けておいて勝手なことを言うぼくを鼻で笑って、パタリロは帰って行った。不憫なのか、たくましいのか、よくわからない。結局の所、パタリロはパタリロ、ということなんだろうなと、ぼくは結論づけた。
 
 パタリロが去ったかと思えば、子供たちが次々と訪れた。
フィガロは仮装を褒められて得意になりつつ子供たちにクッキーを渡し、遠いドイツ人学校に通っているせいで一番最後にやってきたイワンを目玉グミで驚かせた後、一日中はしゃいでいたせいか夕飯も入浴もそこそこに眠ってしまった。
 結局、ぼくが一息付けたのはフィガロを部屋へ寝かせてからで、鏡を見る暇もなかったので程なくして帰宅したバンコランに、付けたままだったネコミミカチューシャを笑われてしまった。
「お前まで仮装したのか」
「うん。折角だし。似合う?」
「そうだな」
 悪くない、と葉巻を吹かしながら答えたバンコランが、やけにぼくの全身を眺めていた気がしたので、お祭り気分のすっかり抜けていたぼくには少し恥ずかしかった。写真を撮るのを忘れていたので、彼に見てもらえたのは良かったのだけれど。
 
 バンコランの夕食の支度をしながら今日のあらましを語ったぼくに、
「今頃マリネラは大騒ぎかも知れんな」
と彼は答えた。確かに、何か企んでいる風ではあったけれど、今日はハロウィンだ。タマネギや国民たちが要求されるのは、せいぜいクッキーかキャンディだろう。それこそ、パタリロの悪戯にしては可愛いものだ。
「来年から、マリネラでもハロウィンが流行るかな」
「だとしたら、お前の好きな色とりどりの菓子やオモチャを輸入してパタリロは大もうけだ」
「そっちの方があの子らしいね」
「まあな」
 今日は今日でそれなりに楽しそうではあったけど。
 テーブルにカトラリーと食器を用意して、バンコランを呼ぶ。彼は、燻らせていた葉巻を消し、読んでいた新聞を置いて席を立った。
バンコランは、ハロウィンだからと言って何もしない。もう大人だし、お菓子を食べる人でもない。彼はそんなこと気にしないのだろうけれど、何だか寂しく感じて、ワインはラベルがオレンジなものを選んで、ステーキの付け合わせはカボチャとパプリカとインゲンのソテーにした。お皿を黒にして、色だけでもハロウィン。彼は気づきもしないだろうけど。
「あなたも子供の頃やった?」
「何をだ」
「仮装」
「いや、わたしが子供の頃は、そうした風習ではなかったな」
「え、そうなの?」
 ステーキを口に運ぶ彼の向かいに座って、紅茶を飲みながら問う。てっきり、ハロウィンの仮装は遠い昔からのしきたりだと思っていた。
「わたしが子供の頃は、普段通りの服装で近隣の家を訪ねて、パフォーマンスをするのがハロウィンのしきたりだった。歌を歌うとか、ダンスをするとかだな」
「お菓子はもらえないの?」
「パフォーマンスの褒美に、小銭や菓子を貰うんだ、確か」
「へえ・・・」
 それなら、パタリロは昔のハロウィンの方が良かったんじゃないかな。あの子は小銭が大好きだし。そう言うと、バンコランはそうかもしれんなとあまり興味がなさそうに返事をした。彼にとってパタリロは、もはや子供ではないのかも知れない。
「あなたは何をしたの?歌った?踊った?」
「いや、どちらも好きではなかったからな。詩の朗読を何度かした。それもさほど上手くはなかったから、直行かなくなったな」
「そう・・・」
 短かった彼の子供時代。
 ぼくの仮装も、そう長い間では無かった。覚えているだけなら、3回か4回。決して多いとは言えないだろう。
 だから、フィガロには10回でも15回でもさせてあげたいと思う。さすがに、15歳にもなれば本人が嫌がるのだろうけれど、自分から満足して子供のハロウィンを卒業するまで、何度でも、何度でも。
 幸福な子供時代の記憶は、大きくなってからの拠り所になることをぼくは知っているから。
 
「さて」
 食事を終えてバスルームへ向かったバンコランのバスローブと寝酒を用意しながら、気分を切り替えて大人のハロウィンの算段をする。
 
『トリック・オア・トリート』
 良いものくれなきゃ悪戯するぞ。
 
 彼が2杯目のお酒を飲み終えたら、いやいっそ今からバスルームへ行って耳元で囁いてみようか。ぼくの望みを叶えてくれる、唯一の人に。
「そうだ」
 彼の、帰宅直後の視線を思い出して、ぼくはクローゼットに置いてきたネコミミカチューシャを取りに向かった。仮装は、大人のハロウィンでも有効だ、きっと。
 
 
 
 
 
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